第016話  初めての磯場での夜釣     平成25年07月15日

 酒田衆(さかたしょ)の釣は元来最上川が流れる防波堤の釣である。最上川は流れが速い。それに雨が降ると直ぐに濁る。酒田の釣り人はその川水の濁りを頗る気にする。潮の干満や流れなどは川水の濁りほどには、気にしない。若い頃の釣では、潮の干満や潮流で釣ったと云う記憶はあまり記憶にない。酒田の釣りの基本は川水の濁りと朝夕のマズメが、魚の釣れる時間である。潮の干満や潮の早さを気にするようになって来たのは、中央から色々な情報が入って来た結果で、つい最近の事の様な気がする。太平洋の釣では信じられないかもしれないが、日本海側の干満の差は2030cm位なものだ。だから海流が川水のように流れるのは、年にそう多くはない。
 基本的に最上川の上流部に大量の雨が降ると必ず濁る。新庄辺りに大雨が降れば翌日には濁りが入るし、山形あたりだと二日後、米沢以南だと三日後と決まっている。後は雨の量次第で濁りが何日続くかが決まる。濁りが少ない時は、時化の後の濁りに期待する。防波堤の捨石周りを泳ぐ魚たちを重点的に釣るのが酒田の釣である。ベテランの人は魚の付く捨石は全て頭の中に入っていた。だから酒田衆の使う錘は鶴岡衆の錘より流れに負けないように比較的重いものを使う。それに対して鶴岡衆は、餌を潮に流して釣る。いわゆる完全フカセを会得した人が、名人と云われる釣りである。錘を使う人でもほんの少しで、大抵ハキ(岸の打ち寄せる波の払い出しの潮)の流れが速い時と決まっている。

 昭和48年の頃だったか、そんな酒田衆が自分を含めた4人で湯野浜から少し先に行った薬師岩の夜釣りに出かけた。4人だと一つの岩に上がるのは多いので2人は隣の大和岩に張り付いた。得意先の人から、結構な黒鯛がバンバン釣れたと聞かされての釣である。当然期待に胸を膨らませての釣行であった。当時磯場での釣は殆ど経験がなく、おそらくまだ二、三度くらいものでしかなかった。日頃慣れ親しんだ仕掛けに重い重りつけて、何時ものように三間半(6.3m)の竿で遠くに振り込む。磯であるから当然底は岩だらけである。投げる度に当たり前のように仕掛けが海底の岩や海藻に引っかかる。
 当然のように暗闇で三人が三人とも悪戦苦闘が始まった。誰も海底の状態が分からないで釣っているのである。知らない、分からないで初めての磯場に入ったのである。こんな釣で釣れる訳がない。得意先の釣り人からただ釣れるからという情報だけで釣りに来たのである。あっという間に3時間が過ぎた。4人は釣りを諦めて帰る事にした。陽の高い時に、春先にでも根魚狙いで海底の状況を調べて釣れると云う事が如何に大事な事かだったかと思い知らされた釣行であった。

 酒田での防波堤での釣は、子供の頃から通っているので海底の状況を概ね把握出来ている。それで魚がツクであろう捨石の場所なんかも大概分かっている。ただ釣れるからと云う情報だけで、初めての場所にそれも夜釣りに来ると云う無謀な釣行を実行したことの馬鹿さ加減を反省させられた日であった。それでも釣れると云う上手い話に乗せられて、そんなバカの釣りを何度か実行してしまっている。